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野田 宇太郎

 

  

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詩人であり、出版・編集者でもあり、また「文学散歩」の創始者として有名な野田宇太郎は、郷土(松崎)が生んだ文学者です。
詩人としての活動は、昭和5(1930)年、久留米に出て同人誌「街路樹」に参加したところからはじまります。
昭和15年(1940)年に上京した野田は、雑誌「新風土」を編集し、下村湖人の埋もれた原稿「次郎物語」を出版するなど、出版編集者としても活躍しました。「文学散歩」の語は、野田の創案によるもので、昭和26年(1951)年「日本読書週間」に「新東京文学散歩」を連載したことからはじまります。
野田が「文学散歩」の執筆を決意したのは、戦争と戦後の無残な文化遺産、自然風土の破壊に対する文学者としての憤りからでした。藤村記念堂、鴎外記念館、明治村の建設、白秋生家の復元、歴史的風土の保存への情熱と尽力は、「文学散歩」の意義の実践でした。

高松 凌雲

 

  

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天保7年(1836)、筑後国御原郡古飯村(現在の小郡市古飯)の庄屋高松家の三男として生まれた高松凌雲は、24才の時にて医学の道を志します。江戸で 医学の修行をした後、大阪の適塾に入門。その後一橋家に仕官したのをきっかけに、慶応2年(1866)には15代将軍徳川慶喜の奥詰医師を命ぜられました。
慶応3年には徳川昭武(慶喜の実弟)に随行して渡仏した凌雲は、そのまま欧州にとどまり、医術(外科学)の研究を続けていましたが、翌年、戊辰戦争勃発の 報せを受け、急遽帰国の途につきます。帰国後は幕軍と行動を共にしますが、病院頭取として敵味方の別なく傷病兵の治療にあたりました。戦争終了後、一町医 者として開業し、明治12年(1879)には医師仲間と「同愛社」を設立し、貧民施療に努めました。
大正5年(1916)東京の自邸で81才の生涯を閉じますが、「同愛社」は昭和20年(1945)まで続き、戦前の日本における社会福祉医療の一端を担っていました。

小郡歴史年表

約15000年前 (旧石器時代) 津古上ノ原遺跡(ナイフ形土器)
約2000年前 (弥生時代中期) 大板井遺跡(大集落)、小郡若山遺跡(多鈕細文鏡)、横隈狐塚遺跡(共同墓地)
4世紀ごろ (古墳時代) 津古生掛古墳、三国の鼻1号墳、津古1・2号墳(前方後円墳)
6世紀ごろ (古墳時代) 三国丘凌・花立山麓に群集墳
7世紀ごろ (白鳳時代) 上岩田・井上に大寺院
7世紀ごろ (奈良時代) 小郡官衙遺跡(郡役所)
1359年 (室町時代) 大保原合戦
1374年 (室町時代) 福童原の戦い
1624年 (江戸時代) 石井堰築造(干潟)
1647年 (江戸時代) 稲吉堰築造
1668年 (江戸時代) 有馬豊範に松崎藩1万石を分知、松崎宿設置
1673年 (江戸時代) 津古堰築造
1772年 (江戸時代) 大板井堰築造
1848年 (江戸時代) 端間堰築造
1873年 (明治6年) 松崎郵便取扱所設置、小郡郵便取扱所(のちの小郡郵便局)
1876年 (明治9年) 松崎巡査屯所設置
1877年 (明治10年) 乙隈彼岸土居の戦い
1888年 (明治21年) 久留米治安裁判所松崎出張所(のちの福岡法務局三井出張所)
1914年 (大正3年) 松崎実業女学校(のちの三井高等学校)開校
1914年 (大正3年) 送電開始(小郡)
1918年 (大正7年) 電話開通(三国)
1921年 (大正10年) 中央軌道松崎~小郡開通
1924年 (大正13年) 九州鉄道(のちの西日本鉄道)福岡~久留米開通
1938年 (昭和13年) 国鉄甘木線開通
1941年 (昭和16年) 県種畜場完成(三沢)
1947年 (昭和22年) 大原中学校開校
立石中学校開校
宝城中学校開校
1948年 (昭和23年) 農業共同組合(各村)設立、三国保育所開所
1953年 (昭和28年) 筑後川大水害、保安隊小郡駐屯地設立、御原保育所開所
1954年 (昭和29年) 城山公園開園
1957年 (昭和32年) 三沢ピクニックセンター開園
1958年 (昭和33年) 有線放送開始
1961年 (昭和36年) 商工会設立
1962年 (昭和37年) 町役場新築移転(現在地)
1963年 (昭和38年) 宝満川大水害
1964年 (昭和39年) 農業共同組合(町)設立
1967年 (昭和42年) 福岡小郡電報電話局開局
1970年 (昭和45年) 中央公民館新築
1971年 (昭和46年) 学校給食センター完成、小郡官衙遺跡国史跡指定
1972年 (昭和47年4月) 市制施行

大原合戦 

his03-1.jpg小郡市役所東隣に東町公園があり、その正面高台に「大原古戦場碑」と刻んだ大きな自然石の記念碑があります。
正平14年(1359)8月征西将軍懐良親王を奉じた菊池武光の大軍4万と、小弐頼尚の大軍6万が大保原を中心に一大決戦を展開しました。
とくに8月7日の一日の戦闘で両軍の戦死者5千4百5十余人、戦傷者を合わせ2万5千余人にも及ぶ激戦であったと伝えられています。
この碑のあたりから西鉄小郡駅前あたりまでの地域を「前伏」というが、これは大原合戦の際、小弐軍が前衛の兵を配置していたとこらから、このような地名が生じたといわれています。
また、この南側の地域は「高見下」と呼んでいるが、これも同様に小弐軍の物見があった場所と思われ、現在は平地になっているが、昭和30年代までは10数メートルの高台になっていた台地の南斜面下に当たることから、この地名も合戦に関係した地名と考えられます。

                             





小郡市役所
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[開庁日・開庁時間] 平日午前8時30分~午後5時 (土日祝日、年末年始を除く)
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