12月22日(日)交通の要衝「津古」に歴史あり!!

 

稲築因幡の碑.png

 

 津古区の「出前トーク」を22日津古公民館で行いました。
 小学生からご年配の方まで約50人のみなさんにお話をさせていただきました。


 まず、地域の歴史をみなさんと一緒に振り返り、この地域が、九州最古級の前方後円墳・津古生掛古墳に象徴されるように、当時は大陸との交流もある往来の拠点であること、出土品の鶏形土製品「つこっコ」は全国の考古学ファンから注目を集めるものであることを紹介しました。


 また、江戸時代は、薩摩街道の整う前には、九州の大名が参勤交代で往来する交通の要衝でした。
 そんな江戸時代の大きな事件、久留米藩の厳しい年貢取り立てと飢饉で、享保13年の一揆が起き、5700人の農民らが善道寺に結集しました。このとき対応したのが、家老の稲次因幡で、農民の立場に立ち、年貢の引き下げの約束をして、一人の犠牲者も出さずに、一揆を収めました。

 

 しかし、このことで、藩主の機嫌を損ねた稲次因幡は、解職、蟄居を命じられ、35歳津古で亡くなりました。霊鷲寺に葬られましたが、津古には農民の守り神として碑が建てられています。

 

 このエピソードは、小郡市のふるさと文化大使・帚木蓬生先生の『天に星 地に花』の小説となっています。


 こうした歴史に目を向けていただき、ふるさとへの愛着、誇りをもっていただきたいと思っています。