4月21日(土)小郡市も大宰府だった!?

 小郡市郷土史研究会総会(帆足徳男会長)が、21日、市埋蔵文化財調査センターで行われました。
 記念講演では、太宰府市教育委員会の山村信榮さんが「大宰府の羅城」というテーマでお話しをして下さいました。白村江の戦いの後、1350年前に博多湾や有明海からの大陸の攻撃を防ぐため、水城や大野城、基肄城が築かれました。これを大陸型の防御であり、羅城と呼ぶ専門家がおり、山村さんもその一人です。
 この防御の囲いは、小郡市の中も通っており、大宰府と小郡の関係が見えてきました。
 また、当時の外交特使が、有明海から入り、宝満川を上り太宰府へ行く途中の宿泊や接待の場所に小郡官衙遺跡や上岩田官衙遺跡がなっていたのではないかと山村さんは話されました。
 さらに興味深いのは、大宰府が作られ、その活動を支えていたのが市内北西部に位置する三国丘陵の住民ではないかとの話でした。実際に大宰府から発掘された皿が、この地域独特のものであるということが分かっています。
 大宰府研究の九州歴史資料館がなぜ小郡市にあるのですか?と聞かれることがありますが、その回答のヒントにできると、山村さんの話に、ひとりにやりとしてしまいました。