8月6日(月)西郷どんと大原合戦

 659年前の8月6日、南北朝の動乱時代に、小郡市を中心とした筑後川一帯で、南朝側の懐良親王・菊池武光らと、北朝側の少弐頼尚らが対戦した、大原合戦がありました。
 その鎮魂と平和を願う「高卒塔婆慰霊祭」が行われ、東野校区高卒塔婆保存会や慰霊碑の周辺整理や清掃をして下さっている小郡駐屯地第5施設団や隊友会などの関係者が集まりました。
 ところで、NHK大河ドラマの「西郷どん」で、西郷隆盛が奄美大島に流島されたときに、菊池源吾という名前を使っていました。これは、西郷が南朝方の菊池家にゆかりがあることからで、小さいころは、太平記を読み聞かせられて育ったということです。
 鹿児島から京などへ薩摩街道を上るときに、小郡の地で、太平記に描かれた大原合戦の南朝方の奮戦ぶりを思い、気持ちを高めて、時代の大きな展開に臨んだと想像できると思います。
 ことしは、市埋蔵文化調査センターで、大原合戦に関わる講演、そして大原合戦図屏風やあらたに行橋市の石橋様から寄贈を受けた菊池家ゆかりの鎧兜を展示しました。驚いたことに、屏風に描かれた武者と大変似ている鎧兜でした。
 鎮魂と平和への祈り、そして、戦いを後世に伝えていくことを、大事にしたいです。